[再演]大駱駝艦 舞踏公演「おじょう藤九郎さま」
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世界に誇る舞踏カンパニー“大駱駝艦”が“えんぶり”と出会う!
大駱駝艦の舞踏手・田村一行が、八戸地方を代表する民俗芸能「えんぶり」を荒谷えんぶり組に教わり、独自の解釈を加え、新たな舞踏作品を創作・上演。
フライヤーDL2014年に南郷文化ホールで初演された「おじょう藤九郎さま」は、東京の大駱駝艦のスタジオでも上演し、好評を博した。今回は4年ぶりの再演となる。
公演にあたって、まずは荒谷えんぶり組の親方にお会いした。2017年から新たな親方となり、先代からの伝統を受け継ぎつつ、これからの組を創造しようする姿勢に、振付・演出を担当する田村一行も触発されているようだった。
親方からは、演目の最後で見せる大夫の決めの振りを、今回の作品に追加してほしいとの要望があり、再度稽古をつけていただいた。力強い大夫の摺りを見た瞬間、女性舞踏手からは歓声が上がった。大駱駝艦の舞踏手たちも見様見真似で舞ってみるが、組の方々のようにはなかなかいかない。手の動きから体重移動の仕方など、太夫の指導は細かい部分に及ぶ。小さい頃から、えんぶり特有のリズムや動きに触れてきたからこそできる太夫の動きを見ながら、民俗芸能が暮らしのなかに脈々と根付いていることを感じた。
作品は、太夫による摺り、大黒舞や笠の舞などの祝福芸といった通常のえんぶりの演目と、舞踏が入り混じる構成となっている。田村はえんぶりの演目部分には手を加えなかった。それは、800年続く伝統が生み出した「踊り」を尊重したいという思いがあったからだ。だからこそ、えんぶりに引けをとらない舞踏を創りだすのは並大抵のことではなかっただろうが、舞踏手の生み出す踊りのエネルギーは観客を圧倒していた。
特にラストシーンで、スーツ姿に身を包んだ田村が、ジャンギ(※)に触れ、何かを呼び覚まされたように一心不乱に踊り続ける姿に、日々の暮らしに忙殺され、本能に突き動かされる感覚を忘れてしまった私たち「現代人」の心は揺さぶられ、感動で涙した観客もいたほどだった。
4日の公演後には、特別公演として荒谷えんぶり組の摺りも披露された。4年前には組にいなかった小さな子どもを見て、伝統を守りつつ新たな担い手を受け入れて続いていくえんぶりのあり方を感じた。それは、舞踏というスタイルにこだわりながらも、民俗芸能という他ジャンルとの出会いを糧にして、新たな世界を見せてくれた大駱駝艦とどこか重なってみえた。
※ジャンギ…えんぶりで使われる、先端に鳴子板や金輪をつけた棒
概要
- 名 称
- [再演]大駱駝艦 舞踏公演「おじょう藤九郎さま」
- 日 程
- 2018年11月3日(土)17:30開演(17:00開場)、11月4日(日)13:30開演(13:00開場)
- 場 所
- 八戸市南郷文化ホール
- 振付・演出・美術
- 田村一行
- 出演
- 田村一行、塩谷智司、若羽幸平、阿目虎南、我妻恵美子、高桑晶子、鉾久奈緒美、藤本 梓
- 音楽
- 土井啓輔
- 衣裳
- 富永美夏
- 監修
- 麿赤兒
- 企画協力
- 大駱駝艦
- 協力
- 荒谷えんぶり組
プロフィール
田村一行
1998年大駱駝艦に入艦。舞踏家・俳優である麿赤兒に師事。02年より大駱駝艦のスタジオ「壺中天」にて、自らの振付・演出作品の創作を開始。緻密な振付で構成する作品には、新たな舞踏の可能性が注目されている。08年文化庁新進芸術家海外留学制度により、フランスを拠点に活躍する振付家、ジョセフ・ナジの元へ留学。小野寺修二、宮本亜門、白井晃、渡辺えりの舞台など客演も多数。舞踏の特性を活かしたワークショップは、子供から高齢者、高校・大学、各分野のアーティストまで幅広く好評を得ている。
大駱駝艦
1972年創設。麿赤兒主宰。その様式を天賦典式(てんぷてんしき:この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とす)と名付け、常に忘れ去られた「身振り・手振り」を採集、構築しすでに60を超える作品を生み出している。1982年舞踏カンパニーとしては、初のフランス、アメリカ公演を行い、鮮烈なインパクトを与え広く「Butoh」を浸透させる。1974年、87年、96年、99年、07年舞踊批評家協会賞受賞。
http://www.dairakudakan.com